日本国際ツーリズム殿堂とは 「殿堂入り」への道程 「殿堂入り」した方々 国際ツーリズムの歩み  
  「殿堂入り」した方々  

2004年度の殿堂入りした方々
  写真:馬場 勇馬場 勇
 
 
  略歴
 1910年(明治43年)生まれ。東京帝国大学卒。1934年、朝鮮銀行に入行。同行調査部次長、大蔵省外局復興金融金庫勤務を経て、1948年に日本ツーリストを創業、50年に日本ツーリスト株式会社を設立し社長に就任。日本ツーリストが1955年に近畿日本航空観光と合併して近畿日本ツーリストとなったのに伴い、同社専務取締役に就任。1964年同社副社長。近畿日本ツーリスト副社長を務める一方で、近鉄航空貨物、箱根高原ホテルなどの社長も歴任。現職のまま1974年逝去。
 
 
  旅行・観光産業への貢献
写真:馬場 勇 近畿日本ツーリストの創業メンバーの一人として、日本有数の大旅行会社を創り上げた。日本ツーリスト時代には修学旅行専用列車を走らせるなど斬新なアイデアで新市場を開拓し、先行する大手旅行会社に対抗していった。
 生来の負けず嫌いで闘争心にあふれた馬場氏の薫陶を受けた社員たちの、団体営業を中心とした攻めの営業による"野武士集団"と称された近畿日本ツーリストの社風を育む上で、馬場氏のキャラクターが重要な要素の一つになったことは間違いない。
 「団参」と呼ばれた団体参拝や万博などのイベントでも精力的に営業を展開しつつも、団体の単位当たり人数の減少傾向が顕著になってきた60年代半ばには、いち早く、将来の個人旅行を中心とした旅行形態への変化を看破し、消費者ニーズの多様化に対応するためにはコンピューターが不可欠と判断。66年10月、社内の反対を押し切って、当時としては破格の3億円という先行投資の伴うコンピューター導入を業界他社に先駆けて断行した。その馬場氏ならではの先見性と決断力は、後年、社内外から高く評価されることになる。

写真:馬場 勇 日本ツーリスト時代からの馬場氏の活躍ぶりは作家・城山三郎氏の小説「臨3311に乗れ」のモデルともなった。この小説の影響で旅行業界を志した者も少なくないと思われ、旅行業界志望者のバイブル的存在だと言う声もある。
教育熱心なことでも知られ、旅行業界を支える人材の育成に情熱を傾け、部下に対しては常に読書を奨励。「1日にメシは4回食え。3回は食事で、1回は読書」が口癖。常に読書の必要性を説き、購読料を会社持ちで、全社員2千人に5年間にわたり月刊総合誌を自宅定期購読させたこともある。
旅行会社の社会的責任とその地位の向上にも努力し、株式上場を目指した。その結果、近畿日本ツーリストは馬場副社長が亡くなった翌年の1975年、他旅行会社に先駆けて株式の東証・大証2部への上場を果たす。後に続く旅行会社の上場にも勇気を与え、上場旅行会社が増えることで、旅行業の社会的認知度向上への流れを定着させていった。その意味で馬場氏の株式上場への思いは、旅行業界全体のその後の発展に少なからぬ影響を与えていると言える。
また馬場氏は常に「青少年の国際交流」や「世界に通用する国際人の育成」の重要性を説いていたが、馬場氏の遺志を継いだ幸子夫人が資金を提供して1988年に「財団法人 国際教育交流馬場財団」が設立された。文部科学省所轄の公益法人として発足した同財団は、全国の学校の国際理解教育のパイロット役、牽引車として大きな役割を果たしている。

 

一覧に戻る

(c)Japan Intarnational Tourism or Fmae. All rights researved.