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  「殿堂入り」した方々  

2004年度の殿堂入りした方々
  写真:本間 次郎本間 次郎
 
 
  略歴
 1906年(明治39年)生まれ。東京帝国大学卒業後、1928年三井物産(船舶部)入社。1941年(昭和15年)ロンドン出張員、ベルリン出張員。1942年、船舶部分離独立に伴い三井船舶へ転籍し本店総務部文書課長、44年総務部参事、46年調査課長、51年営業部次長、54年欧米定航部長、56年取締役定航部長、57年取締役ロンドン支店長、62年取締役常務。同年三井ライン・エアサービス代表取締役社長に就任。64年三井航空サービスに改称し同社代表取締役社長。1969年旅行開発取締役。1973年三井航空サービス代表取締役会長就任、76年同取締役相談役、81年特別顧問。1965年JATA理事。その後常務理事、副会長を経て1975年〜77年までJATA会長を務める。1984年逝去。
 
 
  旅行・観光産業への貢献
写真:本間 次郎 三井船舶時代には、戦後日本の海運業の復興期における三井船舶の成長に貢献する。特に運賃同盟をめぐり、日本とヨーロッパの既存大手海運会社を敵に回して行った“ケンカ”は語り草。当時運賃同盟に加盟していなかった三井船舶は、同盟参加を拒否されると盟外配船に踏み切り、運賃同盟側海運会社との熾烈な運賃競争に突入する。この間、定航部長として競争の陣頭指揮を取り、運輸省の斡旋により事態が沈静化し同盟加入が認められた1961年当時はロンドン支店長として加入折衝に当たった。
 三井航空サービスでは、社長就任の2年前に発足したばかりの同社が抱えていた創業期の累積赤字の解消を図る。それまで他旅行会社が取り扱っていた親会社の業務渡航を獲得するため三井物産幹部を説得、赤字脱却の手がかりを作る。また同社の主要な収益源ともなる航空貨物部門の強化にも注力。同業他社との共同による東京エア・カーゴ・コンソリデーターズや東京航空貨物通関株式会社を設立、利用航空運送事業の免許取得するなど、カーゴ部門での飛躍の基礎を築くとともに、三井航空サービスの経営基盤を確立する。

写真:本間 次郎 JATAの草創期には海外旅行専門委員会委員長として活躍し、1965年に理事に選出されてから77年に会長を退くまでの12年間はJATAの中心的存在として活動を牽引する。この間、旅行業法成立(1971年)、旅行業賠償責任保険制度施行(1973年)、旅行業費用保険制度施行(1974年)などが実現したが、これら制度の制定に当たり、所管官庁や関係業界との折衝などを常にイニシアチブを持って遂行した。また1974年の「JATA旅行業綱領」の改正実施に当たっては、その起草特別委員会委員長として尽力。1975年にはJATA会長として国際航空運送秩序確立委員会を編成して業界秩序確立を推し進めた。
 業界全体の進むべき理想的方向を示しながら、常に中小旅行会社の立場を念頭に置いた言動でJATA会員の信頼を得る。モグリ業者の横行や過当競争が業界の将来に及ぼす影響を懸念し、1976年には本間会長名でJATA会員に「海外旅行販売秩序維持について」との通達を送付している。またJATA会長を退いた後も、「トラベル懇話会」の創設にかかわるなど業界活動への協力を惜しまなかった。

 

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