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  「殿堂入り」した方々  

2004年度の殿堂入りした方々
  写真:犬丸 徹三犬丸 徹三(故人)
 
 
  略歴
1887年(明治20年)生まれ。東京高商(現一橋大学)卒業後、1910年(明治43年)に長春(満州)のヤマト・ホテルにボーイとして就職。同ホテルに3年間勤務した後、上海のホテルでコック修行。上海在住の東京高商の同窓生たちからは「コックなど東京高商の名を汚すもの」と言われながらも修行に打ち込む。1914年(大正3年)にロンドンに渡りホテルの雑用係の仕事にありつく。さらに、窓拭き係りを経て待望のコック見習いとなる。その後、フランスやアメリカでもコック修行を続け、1919年(大正8年)に帰国、帝国ホテル副支配人となり、1923年(大正12年)に総支配人。1931年取締役、34年常務取締役、42年代表取締役、45年代表取締役社長。1948年日本ホテル協会会長就任。
戦後、1952年に接収を解除された帝国ホテルの社長として手腕をふるうことに。1959年日本観光協会設立委員、60年東京都観光協会理事、61年観光事業審議会第二部会長、63年観光政策審議会委員、同年株式会社日本交通公社取締役。1981年逝去。
1959年藍綬褒章受章。

 
 
  旅行・観光産業への貢献
写真:犬丸 徹三 我が国のホテル事業揺籃期に、日本を代表する帝国ホテルに入社し、会長の大倉喜八郎男爵を補佐してライト氏設計の新館建設などの大事業を完成させる。関東大震災時には被災した新聞社や各国大使館、企業などに対して客室を提供しホテルの社会的責任を果たす。1946年には給与制度を改革し心付分配に頼らない新たな月給制度を作り、これが後年のホテルの給与制度のモデルとなっていった。また、日本で最もホテルを良く知る人物として、求められて新大阪ホテル、名古屋観光ホテル、京都ホテルなどの開業にも尽力し、我が国リゾートホテルの先駆である川奈ホテル、赤倉観光ホテルなどの建設にもかかわる。さらに、1919年の火災を期に「旅館営業と重要法規の研究」を著し日本で初めて宿泊施設の権利と義務を法律的に明確に説明した。1923年にはホテル学校を開設して後進の育成に努めるなど、戦前のホテル史に残る事業に幅広くかかわる。

写真:犬丸 徹三 戦後も東京オリンピック景気に沸くホテル業界で大活躍する。洋食の普及に寄与したバイキング方式の食事スタイルは犬丸氏が初めて採用したもの。また、現在ではホテルの宴会需要の柱の一つとなっているホテルでの結婚式&披露宴のありかたは、すでに大正期に犬丸氏がその原型を作った。日本のホテルの近代事業化への貢献度は計り知れない。帝国ホテルの社長としては、1958年に第二新館を完成させ、客室数900室の“世界5大ホテル”の仲間入りを果たす。さらに、1970年に開業した新本館の建設も社長として陣頭指揮した。
 活躍はホテル事業だけに止まらず、国際観光の分野にも及ぶ。戦前の国際観光協会でも委員を務め、1951年には芦田内閣当時の観光事業審議委員会委員。63年の観光基本法の施行により改組された観光政策審議会でも委員を務める。PATAが設立されるきっかけとなった1952年のハワイでの太平洋地域観光会議総会には日本代表として出席。我が国の国際観光発展にも多大な功績を残している。

 

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