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  「殿堂入り」した方々  

2004年度の殿堂入りした方々
  写真:石田 博石田 博
 
 
  略歴
1922年(大正11年)生まれ。和歌山高等商業学校卒。1943年に現在のJTBの前身である(財)東亜旅行社入社。61年(財)日本交通公社国際部外人旅行課長、64年JTBIニューヨーク支店長を経て1968年に社長室次長。以降、69年国際部外人旅行中央営業所長、71年海外旅行部長、73年取締役九州営業本部長、76年常務取締役人事部長、79年専務取締役、81年代表取締役専務を歴任。82年には初の“生え抜き”社長として代表取締役社長に就任。90年代表取締役会長。96年相談役。2002年逝去。
 
 
  旅行・観光産業への貢献
写真:石田 博 日本交通公社の創業70周年に当たる記念すべき年に、初の“生え抜き”社長となった。創業70周年を期して初心に帰りサービスの原点を見直す「ニューJTB運動」を積極的に推進、全社規模でのサービス改善に取り組んだ。80年代前半は第2次オイルショック後の景気低迷などの影響で海外旅行を中心に旅行需要が伸び悩み、旅行会社は70年代までの急成長時代とは違った戦略が求められた。そうした状況のもとで、国内販売店舗網の整備や海外支店網の拡充、社内の高齢化への対応などを進め、最大手旅行会社としての基盤を固める。同時に斬新なアイデアにも積極的に取り組む。「YES JTBカード」(83年)により当時旅行会社としては画期的だったクレジットカードの発行に踏み切ったり、旅行券の分割前払いプランの取り扱いを開始(85年)したりするなど、営業力を強化していった。また結婚関連事業の将来性を見抜いて「JTBブライダルサービス」(84年)を設立したり、高齢者旅行を企画する子会社を設立したりするなど、将来を見越して旅行動向を先取りした手を打っていった。

写真:石田 博 80年代後半になると景気回復に伴い旅行需要は回復していったが、JRの旅行業進出など旅行会社にとっての難問も突きつけられ、難しい舵取りを迫られた。そうした中、87年には「国際オンライン・ネットワーク」構想を発表、89年に新コンピュータ予約システム「トリップスIV」を稼動するなどコンピュータシステムの強化に取り組み、旅行会社に本来求められる販売力や情報力の強化にまい進する。また88年にはCIを実施し社名やマークを「JTB」に統一、JTBの新生の決意をアピールした。
 旅行業界には、我が国の最大手旅行会社の経営を通じて、旅行会社の本来あるべき姿を具現化していった功績を称える声が少なくない。それまで、旅行会社は運輸機関の販売代理店としての役割が大きく、運輸機関への依存体質から抜け出せない面があった。しかし石田氏が、旅行会社が旅行会社たるべき機能を発揮できる方向を模索し、多くの難題を乗り越えてそれを実現していったのは、旅行会社の生え抜き社長らしい功績だったとも言える。今日の日本交通公社を名実共に世界の総合旅行業者に作り上げる基礎を築き、専業旅行業者としてのその後のJTBの発展を導く上で、石田氏が果たした役割は大きい。

 

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