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  「殿堂入り」した方々  

2004年度の殿堂入りした方々
  写真:亀田 重雄亀田 重雄
 
 
  略歴
 1916年(大正5年)生まれ。ハワイで生まれ、明治大学野球部のハワイ遠征が縁となり1935年に明治大学入学。来日後まもなく日本国籍を取得。明大野球部ではキャプテン。東京六大学野球の名ニ塁手として活躍し6回の優勝を飾る。同大学卒業後、1941年日本郵船入社。太平洋戦争中は海軍で潜水艦に乗務。キスカ島撤退作戦やレイテ沖海戦に参加し九死に一生を得る。戦後は1950年にフィリピン航空入社。1954年に日本航空に移り、米州支配人やタイの初代事務所長などを務め、1971年に日本航空の常務、1975年に専務。1972年には日本航空の常務兼任で旅行開発(現ジャルパック)の取締役に就き、1977年〜1987年まで10年間にわたり同社取締役会長を務める。その後、取締役相談役、顧問を経て2000年からジャルパック社友。2001年逝去。
 
 
  旅行・観光産業への貢献
写真:亀田 重雄 1953年に自主運航航空会社として発足したばかりの日本航空に入社。当時、国際線の知識を持ち、なおかつ英語に堪能な数少ない人材として、同社国際線の黎明期を担った一人。助っ人として入社するや「ナショナルキャリア日本航空の誇りを持って頑張ろう」と説く熱血漢ぶりと生来の面倒見のよさから、仲間内では畏敬の念を込めて“ビッグブラザー”と呼ばれた。販売部の課長時代には課の誰よりも早く出社し、夜のフライトがある場合には必ず羽田空港で乗客のバゲージハンドリングを手伝うなど「サービスの原点はバゲージボーイの心を忘れないこと」という信念を身をもって示した。
 米州支配人時代には、その後の日本航空を象徴する意匠となる「鶴丸マーク」の採用にもかかわる。また当時の傑作とされるキャッチフレーズ“We Never Forget How Important You Are”、“Calm Beauty of Japan”などを考案、米州地区における日航ブランドの確立に大きく貢献する。亀田氏の堪能な語学力と、その人柄に惹かれて集まる人脈がなければ米州地区における日本航空の現在の発展はなかったとも評価される。また米国駐在中に仕事やゴルフ、酒の席などを通じて亀田氏の薫陶を受けた業界人も少なくない。

写真:亀田 重雄 日本航空での活躍を通じて、海外渡航自由化前後のインバウンド、アウトバウンドの両分野の発展に重要な役割を果たすと共に、日本航空が世界的な航空会社に発展する基礎を築いた貢献者である。
 ジャルパック会長時代には、日航時代の“ビッグブラザーズ”ならぬ、ジャルパックの“親分”として尊敬を集めた。「お客様への感謝と流通への感謝を忘れるな」という信念は航空会社時代もホールセーラー時代も、立場を違えても変わることなく、旅行業界から厚い信頼を集めた。また亀田氏を慕う業界人の集まり「亀の子会」は27年間も続き、“亀田親分”の人望の厚さを物語る。

 

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