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  「殿堂入り」した方々  

2004年度の殿堂入りした方々
  写真:兼松 学兼松 學
 
 
  略歴
 1912年(明治45年)生まれ。東京帝国大学卒。1935年、鉄道省に入省。鉄道省では同省監督局長などを務めた佐藤栄作氏(第61・62・63代内閣総理大臣)の薫陶を受ける。第二次世界大戦をはさみ、終戦後は運輸省の鉄道渉外事務局主管を経て国鉄へ。外務部長、東鉄局長、職員局長、常務理事などを歴任。国鉄時代は東海道新幹線の建設計画を推進し、十河信二国鉄総裁と共に、世界銀行からの大型融資の承認取り付けにも奔走。新幹線の実現に大きく貢献した。
 1962年、理事として(財)日本交通公社に入る。63年常務、70年専務、72年副社長、76年副会長に就任。80年に退任。77年からはJATA(日本旅行業協会)会長を務める。91年までの7期14年間の会長在任期間は歴代最長。
 1982年勲二等瑞宝章受章。

 
 
  旅行・観光産業への貢献
写真:兼松 学 JTB役員としての旅行業界への貢献は勿論のこと、JATA会長として旅行産業基盤の確立に大きく寄与した。1970年代に日本は急速に海外旅行者数を増加させていったが、世界的にはまだ極東の一角にある旅行者送り出し国の一つにすぎなかった。日本の旅行業界の存在感は国際的にはまだ希薄といわざるを得ない状況だった。そうした状況のもと兼松氏は、PATA(太平洋観光協会)やUFTAA(旅行業者協会世界連盟)の役員としての活動などを通じて、日本の旅行業界の国際的な発言力の向上の必要性を痛感。世界の観光・旅行業界に向けて日本の意見を発信する場を設けるための取り組みを開始。その努力が結実して1977年には第1回のJATAコングレス(日本・国際観光会議)の開催に漕ぎ着け、JATA会長としてこの歴史的な瞬間に立ち会った。第1回JATAコングレスは56カ国・地域から959人が参加し、海外からも635人が出席する盛況ぶりで、期待以上の大成功となった。以降、隔年開催のJATAコングレスをJATA会長として長年にわたって見守り、同コングレスのさらなる発展に寄与した。

写真:兼松 学 またJATA会長在任期間を通じて、旅行業界における旅行会社の発言力の向上にも取り組んだ。国際的にはIATAとUFTAAの間で行われた航空券コミッション率の引き上げを巡る交渉に日本の業界代表として参加。国内的には1978年に「円高に伴う国際航空運賃の是正」や「IATA代理店手数料」に関する旅行業界の意見をまとめ、JATAとしての要望書を運輸省航空局や観光部へ提出。翌79年のIATA代理店手数料率引き上げに道筋をつけることになった。
 日本の海外旅行市場が世界中から熱い視線を集めた1980年代には、各国から数多く来日する観光誘致使節団に対し、日本の旅行業界を代表する顔として応対。明るく開放的な人柄とユーモアたっぷりのスピーチで、世界各国の関係者を魅了した。

 

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